当院の歴史

開業
街道の松

当院は昭和38年1月に現名誉院長隅田正二が開院しました。場所は現在地より約100m西広島駅側で、現在のはまだ小児科クリニックの場所でした。
西国街道の名残の立派な松並木が残っている時代です。
この松並木はこの後しばらくして切られてしまい、もう少し高須側では後まで残っていましたが、今では全く残っていません。
道行く人の着物からすると開院間もなくのお正月と思われます。


宣伝
看板

昭和42年頃の広告看板です。看板に己斐駅前とありますので、己斐の町ではなく宮島線沿線の駅周辺でしょうか?
また己斐日通隣と書いてあります。医院の隣には当時日本通運の倉庫があり、国鉄貨物列車からの荷物の積み下ろしが盛んだったものです。





あふれる子供たち
子供と診療所

昭和45年頃の診療所の日常風景です。

この時代の子供にとっては窓から出入りすることは、ごく普通のことだったのでしょうか?
今では考えられない風景ですが、医療施設だけではなくこの頃はどの町でもこのように子供が多くて活気に溢れていたんですね。
耳鼻科で診察する病気も今とは違って副鼻腔炎(蓄膿症)や細菌感染症が多かった時代です。

手術
副鼻腔炎手術

この時代には個人開業の診療所でも手術・入院が普通に行われていました。
当院でも副鼻腔炎(蓄膿症)の手術などを盛んに行っていました。


移転
建設中

昭和45年に現在地に新築移転しました。
建築中の当院ですが、現在と違い周囲にほとんど高い建物がないため今より大きく見えます。周囲の風景も随分と変わっています。(手前の酒屋さんは今の宮永薬局さんの場所です。)

現在地での診療もすでに約45年となりました。この間何度か内外の改装を行い少しずつソフト・ハードとも変わってきました。
平成16年9月より、現院長隅田伸二が当院での診療を開始し、これを機会に大幅改装し、医療機器も多くを更新・導入して現在に至っています。